フリースタイルスキーの遍歴 国内編

 

フリースタイルスキーは1960年代後半にUSAのスタイン・エリクセン(オリンピック大回転金メダリスト)が始めたのが発祥とされている

日本初のフリースタイラーは、おそらく三浦雄一郎先生ではないでしょうか 

1970年代 フリースタイルスキー愛好家やプロとして活動していたスキーヤーが、スキースクールでフリースタイルを披露していた

当時活躍していた日本の先駆者

川辺義倫・小林啓二・柿坂清策・基田忠佳・只野直孝・谷口守昌・土田勝・清水康久・白川直樹・村川レミ (順不同)

1979年当時のバレエ、ギャラリーのウェアーが凄いね

1978年 レイクタホ USA エアリアルはヘリコプターでも出場出来たんだよ。

3回転・4回転まで昔はやってだんだ

これがモーグルだ!! 失敗しているわけではないよ。

このような整地も全くされていないコブ斜面で、とにかくド派手に滑ることが大事だったんだ。

これが本当のホットドックモーグルよ。。

 

1980年 (財)全日本スキー連盟に正式種目として採用

国際スキー連盟が前年種目化を決めたためである

 

当時、日本のフリースタイルスキーの発展に貢献していただいた方々の存在が大きいのです。

プロカメラマンであった(故)小島孝平氏・モーグルを一般スキーヤーに普及させた長渡明久氏、おふたかた共に本場USAからフリースタイルスキーを国内に伝授したのです。

 

そして、なんといっても全日本スキー連盟にフリースタイルスキーを定着させ日本のワールドカップ開催まで、多大なるご尽力を尽くしてくれた、(故)大槻譲氏である。日本のフリースタイルスキーがここまで来たのは大槻先生のご努力の賜であるのです。

07.12.7 8:23 大槻先生はお亡くなりになりました。忘年79才

語学が胆のうであった先生は、FIS FS委員長のジョン・ジョンストン氏との連係で、国内の公式戦そして国際選抜大会・ワールドカップ・世界選手権・長野オリンピックなどすべてを取り仕切ってきてくれたのです。

日本の FREESTYLE SKI がこうしてメジャーになったのも先生のおかげなのです

 

1981年 第1回全日本フリースタイルスキー選手権が長野県志賀高原サンバレースキー場にて開催 (2年間開催)

1982年 札幌フリースタイルスキークラブ ナクリスがテイネハイランドにスポンジピットのエアリアルランページを完成させる。(1983年に廃止)

1983年 第3回全日本フリースタイルスキー選手権が、北海道留寿都村大和ルスツスキー場で開催

当時は4月第1週目に開催するのが寒冷であった

バレエ・モーグル・エアリアルの三種目の他にコンバインド表彰するのがフリースタイルであった

当時は、殆どの選手が3種目を行うのが当たり前で、各種目に30名強の選手が出場していた

その年正式にナショナルチームが決定された

1984年 第4回全日本フリースタイルスキー選手権は、野沢温泉スキー場で開催

全国スキー学校校長会議アニバーサリーと同時開催し全国に初の公開競技会となった

大会終了後にナショナルチームがエアリアルの公開デモンストレーションを全国のスキー学校関係者に披露する

工藤哲史 国内初の後方3回宙返りを披露 TTL

1984年 7月 長野県木崎湖にウォータージャンプを建設

国内初の本格的エアリアル用ウォータージャンプができた。スモールとフローターは兼用・ミディアムキッカーと2台

このころはまだ一般の人が飛ぶことは全くなかった。全て選手だけの利用でした。

しかし、東京・京都・北海道からも選手が来て練習していました。何せ国内唯一ですから。

但し、湖の畔に台のみで、着替えも座るところもスキーの置く場所すらなかったのです。

 

これが木崎湖のWATER JUMP、ミディアムの落差はたったの5m。これで3回転もやってました。この写真はフルフル

当時の私は、ノーヘル、ノーライジャケでいつも飛んでました

 

当時活躍していた主な選手

バレエ 松本和俊・木村昌道・吉田光江・福山博子

モーグル 高橋富幸・五十嵐和哉・坂倉かおり・田口美鳥

エアリアル 工藤哲史・松浦崇人・横山岳男・藤井博子・水野千鶴子

コンバインド 角皆優人・山口茂樹・中野銀治郎・橋場一枝・上村祐代

女性は旧姓です

全日本選手権過去の優勝者

 

1986年夏 第1回世界WATER JUMP選手権が東京代々木で開催される

優勝 イーブ・ラローシェ(CAN) FFF FdFF

 第6位 工藤哲史 LTF LFF

 

夏 静岡県三ヶ日町 浜名湖にWATER JUMP完成

 

当時

バレエは、全長240m 10度前後の斜面で3分間の演技をしていた

このあとFISがルール改正を毎年繰り返し徐々に選手が減少していく

モーグルは、もともとゲレンデに出来ているコブ斜面にスタートとゴールを決めて競技会がされていた

全長235mが普通、斜度は様々であるが今のような20度のような中斜面はなかった

エア台はなく、選手が飛べそうなコブをスキーでならし飛んでいた

特にストレートな一枚バーンは余りなく、ドッグレッグしていたり起伏があったりした

エアリアルは、正式な公認コースという観点はなくゲレンデ内に出来る範囲でジャンプ台を作った

国内ではカテゴリー制で、バック・フロント・ヘリコプター・スタンディング・サイドフリップの5つの種類から1・2本目を選ばなくてはならなかった

いつしか、3回転は禁止となり、私は海外でしか3回転が飛べなかった

スモールは、高さ1.8m50度 ビッグはノール8m高さ2.6m58度 フローターはノール10m高さ2m20度前後

 

参加資格

全日本選手権でも申し込めば誰でも出場できた

年齢制限なども一切なし、まさしくフリースタイルだった

 

1986年 第1 回世界フリースタイルスキー選手権がフランスティーニュで開催

当時IOC会長サラマンチ市が訪れ、フリースタイルをオリンピック種目にすることを明言する

 

1980年代半ば全日本選手権優勝者は翌年ワールドカップ北米戦に派遣される権利を得ていたが、80年後半には、技術レベルを判断し調整するようになった。モーグルは国内の選手では全く世界には歯が立たず派遣されないシーズンもあった。

1988年カルガリーオリンピックにて、フリースタイルスキー公開種目として採用

日本代表 エアリアル 工藤哲史・藤井博子

日本代表と言っても、前年度ワールドカップランキング16位以内の選手しか参加資格がなかった

従って、日本からは二人だけ

 

1989年 第9回全日本フリースタイルスキー選手権 長野県斑尾高原スキー場で当時小学校6年生里谷多英が優勝する

 

1990年代

1990年 ワールドカッフレイクプラシッド大会、モーグル種目日本人初の決勝進出者となった山崎修、これを機に日本のモーグルは強くなっていった

又、その大会で工藤千鶴子がエアリアルで2位を獲得、そのシーズンワールドカップで表彰台を3回ゲットする

1990年 第10回全日本フリースタイルスキー選手権大会は、札幌市コバワールドスキー場開催

1990年代は、ルール改正が頻繁におき選手もジュニア層に広がっていった

1994年リレハンメルオリンピックで、女子モーグルがNHKのPM8;00に放送され、里谷が決勝に残ったことで一躍モーグル種目が一般に広く告知され、モーグルブームの日が付き始める

1998年 デュアルモーグルが全日本選手権に正式種目として採用

 

当時活躍していた主な選手

アクロ、生沼秀幸・長谷川宏太郎・田中由香子・福本望

モーグル、山崎修・本間篤史・岩渕隆二・原大虎・附田雄豪・三浦豪太・里谷多英・堀江寿美代

エアリアル、永井祐二・待井寛・岩渕千代子・岩崎彰子

何といっても、1998年長野オリンピック 里谷多英の金メダルが一躍日本にモーグルブームを巻き起こすことになった

 

2000年以降

2001年 アクロ種目正式に廃止決定

全日本選手権のデュアル種目出場資格がモーグルランクとなり、各地のデュアル種目大会がなくなっていった

唯一北海道のみの開催となる

モーグル種目の人気ぶりからエアリアル選手が激減、地方大会もなくなってしまった

唯一北海道のみの開催となる

2003年モーグルに3Dエア解禁

2004年モーグルに宙返りが解禁

2006年トリノオリンピック後、逸見佳代選手引退後女子のエアリアル選手が消滅する

2006年秋 北海道美深町にFIS公認エアリアルサイトが完成 総工費2200万

2007年北海道のFS競技者登録選手は、たったの77名と激減しています

2009年世界選手権 猪苗代大会 上村愛子選手 MO/DM2冠達成

 

元祖スキー史